絶滅稀少人間図鑑
<山口百恵>
「諸君!」連載第7回


 ひとがそれぞれ生きてきた時代と共にアイドルがいた。そしてアイドルは時代によって作られ、時代とともに消えていく運命にある。一九六〇年代のアイドルの代表はなんといっても吉永小百合であろう。彼女はだれもが認める「清純派」のシンボルとして映画全盛の時代から生まれた。  一九七〇年代に入ってテレビが成熟期を迎え、番組を通じてアイドルが発掘される 時代になった。その番組の最たるものは日本テレビの「スター誕生!」であった。  山口百恵は十三歳でこの番組の第五回決戦大会に準優勝して世に出てきた。同じような経緯を経た桜田淳子と森昌子に彼女が加わり「花の中三トリオ」として芸能界に登場したが、この三人のなかで山口百恵はどちらかというとあまり目立たない地味な存在であった。  一九七三年の暮れ、私はある歌謡祭の表彰式に出むいた。この年の「新人歌手の顏をできるだけ多く撮って来い」といのがグラビアデスクの指令。名前と顏が一致しないまま何人かの表情をカメラに収めていったが、そのうち、一人の少女がとても気になってきた。その少女は、晴れやかなステージでひとりだけ、少しはにかんだような顔つきをしてポツンと立っていた。まわりにいるアイドルの卵たちが精一杯笑顔をみせてはしゃいでいるなかでたいそう控えめに見えた。透き通 るような顔の素肌と大人びた黒くて深い眼が特に印象に残った。この歌謡祭では桜田淳子かだれか他の歌手が最優秀新人賞の獲得者だった。 「エッ!なぜ彼女ではないのだろうか」と私は不思議に思った。この少女・山口百恵は地味ではあったが「ただ者ではない」と予感させるだけの存在感を漂わせていた。
 少女はやがて「ひと夏の経験」で大ブレーク。以後「プレイバックPart2」「横須賀ストーリー」などヒット曲を連発する。 ライバルの桜田淳子や森昌子が、♪クッククック〜青い鳥〜♪とか♪せ〜んせい♪とか年齢相応の可愛い歌を歌っていたのに対して山口百恵は、♪あなたが望むなら私何をされてもいいわ‥(青い果 実)や、♪あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ‥(ひと夏の経験)など、それまでタブーとされていた幼い「少女の性」を連想させる路線を生々しく大胆に、そして素直に歌いあげた。他の可愛いだけのアイドルたちとはひと味もふた味も違って、ちょうどこの頃、ブームのきざはしをみせ始めた「女性の自立」という風潮と相まって、一躍彼女の存在は女性の時代を代表するものになっていくのである。
 一九七四年の春、三島由紀夫原作の小説「潮騒」の舞台になった鳥羽湾沖の神島で映画のロケが始まった。この小さな島へ同行取材に赴いた私は、忙しいロケの合間で特写 をお願いする。鄙びた漁村をバックに山口百恵は嫌な顔もみせず、私のカメラの前に立った。デビューから二年目の彼女はその存在感をより増して光り輝いていた。 黒く深かった眼は前に撮った時と同じように笑っていた。だが岸壁に座ってポーズするのはもはや"少女”ではなく、大人っぽい山口百恵であった。私とは一回り以上も年齢が離れているのに、なぜか胸をドキドキさせるほど可憐で"おんな"を感じさせた。「なにかが変わった」と、思った。
 後年、彼女が自著『蒼い時』でこの時の心境を告白している。相手役に抜てきされゴールデン・コンビと称された三浦友和への想いだ。「いつの間にか私の目は、彼を追うようになっていた。(中略)もうすでに彼をひとりの異性として意識していた…」  山口百恵にとって、この「潮騒ロケ」こそが恋の発端であった。その想いが表情に溢れ出し、ファインダー越しに語りかけたのだと思えてしかたがない。



 三浦友和とのコンビはその後も「絶唱」「風立ちぬ」「春琴抄」と続き、女優としてもトップスターの坐へ登り詰めた。  ロケで「彼の胸に顔を埋めるシーン(中略)耳に響いてくる彼の鼓動を聞きながら、この鼓動を特別 の意識を持って聞く事のできる女性に……私がなれたら」 
 「秋桜」「いい日旅立ち」が歌われ始めた頃から彼女のかもし出すオーラに加え、落ち着いたしっとり感が滲んでくるようになる。そして一九七九年の十月、大阪厚生年金ホールのリサイタルで突然、三浦友和との「恋人宣言」をして人気絶頂のまま、結婚、引退へと向かうのである。
 そして十数年。中国の片田舎の村で撮影中、ふと見ると、庭に据えられたテレビのブラウン管の中に中国語を話す山口百恵がいた。黒山の人々が 私を指差して「モモエ!モモエ!」と笑いかける。彼女が出演したテレビドラマ「赤いシリーズ」が吹き替えられて放映されているのだ。
 「女性の自立」のシンボルであった山口百恵は「栄光の職業」よりも「妻として、母としての幸せ」を躊躇なく選んだ。
 それは"吉永小百合"的「女の幸せ」と結果こそ同じだが道程は異なっていた。その点こそが今に語り継がれる「百恵伝説」の 理由ではなかろうか。(文中敬称略)