絶滅稀少人間図鑑
<田宮高麻呂>
「諸君!」連載第8回

ハイジャック犯の三十年 日航機「よど号」がハイジャックされてから三十年が過ぎた。九人の日本赤軍の若者たちが日本刀を振りかざして北朝鮮へ不法侵入し、亡命した事件である。彼らのうち何人かは以後北朝鮮に滞在したままで今日に至るが、昨今、彼らの子供たちの「人道帰国」問題がマスコミに登場している。人の情けとしては、「子供たちだけは、何とか帰国させたいんや」ということも理解できるが、「二世代にわたる革命の尖兵にする。」という見方も根強く囁かれている。

 私が北朝鮮のピョンヤンで、主犯格の田宮高麻呂達と最初に会見をしたのは、事件からすでに十年が経過していた1980年九月のことだった。当時、ジャーナリストの北朝鮮への入国は厳しく制限されていて、雑誌記者としては初めての単独インタビューであった。国交のない北朝鮮からは、それまで田宮達の動向は漏れて来ず、例えば「政治犯収容所のようなところで幽閉されている」とか、「いや、腐敗した資本主義日本から金日成の懐に逃げ込み、世界同時革命のため軍事訓練を受けている。」とかの憶測ばかりが報道されていた。

 ベンツに乗り、ばりっとしたスーツ姿で田宮は宿舎の普通江ホテルに現れた。にこにこと人懐っこい笑顔で握手を求めてきた手首にはオメガの高級時計をはめている。  ピョンヤンでの生活ぶりを聞いた。宿舎は郊外よりの普通江のほとりにあり、全員個室が与えられ、高額の小遣いまで貰っているという。かなり厚遇されているらしい。一時間ほどインタビューを続けたが部屋の中には政府関係者らしい人物もいて、それが気になって仕方がない。田宮の耳に小声で尋ねた。「我々日本人だけで会いたい。自由にどこか外で会えるか?」  田宮はニヤッと笑ってOKの合図を送ってきた。二度目のインタビューは二日後、市内にある牡丹峰公園の広い芝生のド真ん中をこちらで提案した。二百メートル四方見渡しても誰も居ない。ここなら大丈夫。田宮の他に、小西隆弘(元東大生)と若林盛亮(元同志社大生)も参加した。

 車座になって、結婚や帰国の意志について聞いてみた。話すのは主に田宮だ。 「われわれは、ここに土着する気は持っていない。だから朝鮮の女性と結婚なんてことは考えられません。まぁセックス処理、これは男やからね。自分で処理する以外に方法はありません。日本の雑誌もいろいろ無修正で手にはいるしね」と笑い、「帰国?そりゃあ返りたいですよ。日本というわれわれ自身の祖国のために世界同時革命をおこし、軍事訓練を受けるためにきたのだから。でも要求した軍事訓練は十年経ってもやらせてもらえませんけどね。今ではこの理論に矛盾点や限界も感じ、理論的にも反省しています。」と語った。



 1992年四月十二日の夜、衆議院議員・山村新治郎が日の娘に殺害された。訪朝団の団長として出発前夜のことだ。山村議員は、「よど号」の乗客に代わっては人質となり、「身代わり新治郎」と喝采を浴びた人物である。この事件の十日後、私は再びピョンヤンを訪れ、田宮達に再会した。深夜、目立たぬ ように部屋を訪ねてきた彼らは開口一番、山村議員の死について語り始めた。  身代わりで乗り込んできた時、山村は冗舌であった。「私は三十七歳で若い。君たちとは同世代だ。気持ちはよくわかる」。議員は田宮達を説得するのにこう強調したという。山村と田宮たちは“運命共同体”出会った。北朝鮮に不法入国する点では同じ立場。そこに奇妙な友情が生まれたようだ。長逗留を覚悟していたらしい山村はバックにパンツなど下着類をいっぱい詰め込んでいて、冷える機内で、田宮たちに下着を配った。「これで日本に帰れば次の選挙は万々歳だなんて冗談も飛ばした。北朝鮮に到着してすぐ、田宮たちと山村は一列に並ばされて尋問を受けた。食事も一緒だ。山村は並んだ料理を見て、ホッとした様子を見せて「おっ!これは一流のごちそうや。」「不法入国者たち」への扱いが丁重だなと判断したようだ。

 やがて共和国側も事情がわかってきたのか、宿舎も別々になり、以来、山村代議士とは会っていない。しかし、たびたび、近況を知らせる手紙を送ったりしていた。「もし、われわれが日本に帰れるとすれば、そのきっかけを作ってくれるのは山村さん以外にいないと思ってました。だから今度訪朝すると聞いてぜひ会いたいと思っていたのに、ほんとうに残念です。」
 田宮はうなだれた様子で声を落とした。白髪も混じり始めたパーマ頭に、ジャンパーを羽織った姿には疲れが見えた。そしてこのときが田宮を見た最後になった。死因は心疾患と公表されたが詳細はわからない。
 三十年の時間の経過とともに朝鮮半島の状況も大きく変わってきてた。かつて、「よど号亡命者たち」は北朝鮮の対日カードと考えられていた。だが、今では彼らも自活の道を歩まざるを得なくなってきている。
 帰国するなら、子供たちだけでなく彼ら自身も帰るべきだ。そして罪を償い、再出発するべきだ、とわたしは思う。