絶滅稀少人間図鑑
<森喜朗>
「諸君!」連載第10回

 「ふるさとの山はありがたきかな」首相就任後、初めて故郷の石川県に帰った森喜朗は晴々と、こう呟いた。「神の国」「国体」発言以来、四面 楚歌。故郷に錦を飾った感慨は格別のものであったろう。だがしかし、県内十二ケ所での演説では「帰ったのは参院補欠選挙の応援のため。決して首相のお国入りではない」と、くどいほど繰り返した。カメラを構えながら私は「森さんは正直な人だな。口ではそう言っても、ラグビーで鍛えた巨体を揺すって喜んでいるのがまる分かりだな」と微笑ましく思った。地元、根上町でのことだ。大勢の支持者たちに囲まれ、バンザイ!森首相、バンザイ!の連呼のなか、差し出されたボタ餅を満面 に笑みを浮かべ、大口開いてほおばった。自宅前には数百人が黄色いひまわりの造花をかざして彼を取り巻く。揉まれて森さん顏も巨体ももうクチャクチャ。
 実家の墓参では自ら墓石をタワシでゴシゴシ。近くにいた子供を抱き上げ、高い高いバア〜と上機嫌。で、ついまた調子にのった。「古い言葉を使うとまた怒られますが、銃後のこと、この地域をお守りいただきますように」と復古調挨拶。すかさず「総理!三流マスコミに負けるな!」と支持者からの激励が飛ぶ。 
 その「三流」マスコミからの追撃は日ごとに激化していく。若い頃の買春疑惑もあれば、総選挙で「投票に行かずに寝ていてくれればいい」発言も。とどの詰まりは米潜水艦によるえひめ丸衝突沈没の際、「これがどうして危機管理なのですか。事故でしょ」と逆なでる。  さる大新聞の「首相言葉」欄では連日不毛の記者とのやりとり。これではまるでガキどうしの口喧嘩のようだ。
 これまで森さんを撮影した事は何度かあったが、不思議なことに、その多くはなんと、葬儀や偲ぶ会の現場だったのだ。  芝の増上寺で営まれた安倍晋太郎の葬儀の際、森さんは誠和会の新会長・三塚博のもとで弔問客の応接に汗を流していた。  安倍は竹下登や宮沢喜一と総理総裁の椅子を競って熾烈な戦いを続けた男だ。岸信介元首相の女婿で、早くから首相としての宰相学を学んでいた。資質、執念とも旺盛で人望もあったが、首相の坐を目前にして病に倒れた。いま思うと安倍の歯ぎしりが聞こえてくるようだ。 「一国の総理総裁はなろうと思ってもなれるものではない。天が命じるのだ」かって田中角栄はそう語った。宰相たるべく実力を培い、党内の背景を固め、決断と実行を速やかにし、そして後、天命を待つ。
 昨年六月。初のお国入りを果たした森さんは、各会場の挨拶で首相就任の経緯にも触れた。小渕恵三前首相が緊急入院するその直前、官邸に呼びだされ「ロシアのプ−チン(現大統領)に会うためモスクワに行きたい。しっかりやってくれ」 「(小渕さんから)呼ばれたのはこれが最初で最後のことだった。だから(自分の首相就任は)天命である。」


 森さんの場合は、首相の急死によるいわば緊急避難的な就任だ。おそらく自分でさえも予想外。かって総裁選挙に撃って出たこともないし、なによりも「天下をとる」ことへの直接的な気概も執念も根回しもすべて準備不足であったことは否めない。海千山千が跋扈する永田町のなかで身体中大根おろしでゴシゴシすり下ろされるような経験は不足している。国家元首の軽口はジョークにもならない。もっと、もっと重いはず。一連の言動から察すれば、ここの所が「なぜなの?」と、国民の多くは首を傾げる。やはり森さんの場合は「おかしな天の声」であったのかな。  それにしても森さんは不撓不屈の宰相である。こんなに叩かれても、側近の愛人疑惑辞任にも、KSD事件にも凹まず、衆参両院の「不信任」も乗り切った。が、それもつかの間。 「いま辞めるとは言っていないが、この先辞めないとは言っていない……与党内には辞任と伝えつつ国民には辞意ではない」 ついに押し切られた不屈の森さんが、とうとう「総裁選前倒し実施」を口にしたけれどもなんとも分りずらいメッセージ。なにやら密室で誕生した首相が、また密室で決着をつけたって印象なのだ。  連立与党の実力者たち新四人組だとかの意向という噂も聞くが、KSD事件で脱落した「大物」にとって替わったのが「加藤の乱」での”裏切り小早川秀秋”の役回りだったのだから、なんともすっきりしない。失言やらゴルフ会員権の便宜供応など、誰が見ても解り易い失点をくり返した森さんの責任も重いが、それだけではすまされない。いま問われているのは「迷走日本」をリードする与党幹部全体のことなのだ。。この際、総裁選挙では推薦人数を下げてでも、総当たり戦をやればいい。若手が手をあげるのもいいし、加藤紘一さんも「やる気十分」だったのだからもう一度チャンスを掴めばいい。そして倦んだ空気を活性化しなければますます日本の漂流は続く。 (文中敬称略)