絶滅稀少人間図鑑
<大森実>
「諸君!」連載第13回

 1973年の春。「週刊ポスト」の新米カメラマンであった私は、大森実と共にスウェーデンへ行く事となった。「百六十年の永世武装中立の国防軍、高福祉社会」など当時の理想国家と称されていたこの国を取材するためだ。
 その十年ほど前、毎日新聞では「泥と炎のインドシナ」が連載され大評判になっていた。腐敗した南ベトナムの現実を追及し、民衆の側から悲惨な戦争の実情を紙面 で報道した。陣頭指揮をとっていたのが外信部長だった大森実である。単身ハノイに一番乗りを果 たし、爆撃にさらされながら二週間で二十四本の原稿を送り続けた。米軍機による無差別 な北爆でクイン・ラップ・ハンセン病病院が破壊された記事はアメリカ一辺倒のベトナム戦争報道に疑義を呈した。駐日米大使のライシャワーは「共産主義・警察国家の口車に乗せられた宣伝的報道」と決めつけ噛みついた。すぐさま反論の記事をベトナムから打電するが紙面 には載らなかった。「アメリカの権威」に社の上層部は屈したのか、帰国後、大森は執筆禁止を言い渡される。さらには外信部が一貫して報道してきた「ベトナム戦争観」を裏返しにしたような連載を始めてしまった。
 大森は長文の建白書を書いた。「アメリカは必ず負ける。米軍の完全撤兵以外の解決法はあり得ない。」という予測に加えて、「新聞は付和雷同すべきではない。信ずる道を歩ませて欲しい。」さらに社の首脳部が新聞製作に関して事大主義とマンネリに陥ってはいないかと追及し、最後にライシャワーの言論弾圧に対して「社説」を書いてもらいたいと要請した。そして大森は毎日新聞を去ったのである。
 フリーになった大森は、その後「東京オブザーバー」というクオリティーペーパーを発刊するが三年で廃刊、無念の涙を呑む。時は昭和元禄。浮かれた大衆は国際事件記者に対して冷たかったのである。大森は雑誌に活動の場を移し、「週刊現代」などで“直撃インタビュー”を連発する。
 そして、流暢な英語を駆使して世界の激動地を駆け巡る現場主義の「国際事件記者」の異名をとり、スカルの大統領単独会見などを成功させ、同名の連続テレビドラマにもなった。
 大森の取材には驚かされた。ストックホルムに到着してすぐ、英語とタイプの上手なスウェーデン女性の秘書を雇った。国府と呼ばれたエルランダー元首相やノーベル賞学者グンナー・ミュルダール博士とのインタビューが終わると飛んで帰り、機関銃の弾を撃ちだすように口述する。もちろん英語だ。金髪美人の秘書は、大汗をかきながらタイプをたたく。でき上がった分厚い英文の紙束を片っ端から日本語で読み上げ録音すると、完全原稿になっていた。
 スウェーデン国防軍の取材では西部軍管区I-十六連隊の野戦演習に参加した。「軍を知るには体験入隊がいちばん」と大森も私も軍服を身にまとう。兵士達が原野を走り、攻撃の態勢を取る。
 架橋作戦にも参加したが、架橋材料や武器などを運んできた特車はなんと農耕用のトラクター。普段は畑を耕し、いざ有事の場合には戦闘用の特車に早変わりするのである。民衆の軍隊だという思いがした。
 後年暗殺されたオルフ・パルメ首相との直撃インタビューは、国会内の大食堂の片隅で行われた。セルフサービスの社員食堂のようなもので、首相は自分で列に並びチキンのシチューと紙コップ入りのコーヒーを自分の手で運ぶ。大森も紙コップを手に額を突き合わせて激論に熱中した。


 スウェーデン滞在も一ヶ月を過ぎようとしていた時、アメリカでウォーターゲート事件が火を吹いた。ウォーターゲートビル内の民主党全国委員会本部事務所に五人の男が盗聴器を仕掛け、逮捕されたことが発端となり、“ホワイトハウスの陰謀”が明るみに曝され、ニクソン大統領が辞任に追い込まれた事件だ。
 大森はスウェーデンでの取材をきりあげワシントンに急行した。
 キャンセルした取材の後始末のため一日だけ居残った私の部屋にライバル誌の編集長から大盛宛ての国際電話が回されてきた。 「大森さんは帰国しました。イギリスかどこかのゴルフのようですよ」とフェイントをかけた。ウォーターゲート事件についての大森原稿を狙っているのは目に見えていたからだ。
 二日遅れて大森と合流し、ワシントン・ポスト紙の会長キャサリン・グラハムに直撃。小さな盗聴事件からヒントを発掘し、二人の記者達が十ヶ月にも渡って書き続けた二百五十本もの原稿。昼夜を分かたぬ 地道な取材、それにも増してあらゆる恫喝や妨害に屈せず支援し続けたグラハム会長の報道姿勢にも私は舌を巻いた。ライシャワーの恫喝で新聞社を辞めざるをえなかった大森のケースとは大違いだ。
 取材が終わってダウンタウンの日本航空オフィスへ向かった。編集部から届いた追加の取材費を受け取るためだ。 ロビーに入ると、なんとそこには前日ストックホルムでフェイントをかけたはずの「週刊現代」の編集長が居るではないか。どっかり鞄の上に腰を下ろしてきょろきょろまわりを見回している。大森も慌てて逃げ出そうとしたが目敏い編集長に発見されてしまった。「ゴルフは嘘だ。大森はワシントンへ飛んだに違いない。日航かワシントン・ポスト社の玄関で見張っていれば必ず捕まえられる」と確信を持ち、すぐに日本を発ったとのことだ。私はまくし立てた。「大森さんはポストの仕事できている。週刊現代に原稿は渡せない。」(後略)(文中敬称略)