スウェーデン滞在も一ヶ月を過ぎようとしていた時、アメリカでウォーターゲート事件が火を吹いた。ウォーターゲートビル内の民主党全国委員会本部事務所に五人の男が盗聴器を仕掛け、逮捕されたことが発端となり、“ホワイトハウスの陰謀”が明るみに曝され、ニクソン大統領が辞任に追い込まれた事件だ。
大森はスウェーデンでの取材をきりあげワシントンに急行した。
キャンセルした取材の後始末のため一日だけ居残った私の部屋にライバル誌の編集長から大盛宛ての国際電話が回されてきた。
「大森さんは帰国しました。イギリスかどこかのゴルフのようですよ」とフェイントをかけた。ウォーターゲート事件についての大森原稿を狙っているのは目に見えていたからだ。
二日遅れて大森と合流し、ワシントン・ポスト紙の会長キャサリン・グラハムに直撃。小さな盗聴事件からヒントを発掘し、二人の記者達が十ヶ月にも渡って書き続けた二百五十本もの原稿。昼夜を分かたぬ
地道な取材、それにも増してあらゆる恫喝や妨害に屈せず支援し続けたグラハム会長の報道姿勢にも私は舌を巻いた。ライシャワーの恫喝で新聞社を辞めざるをえなかった大森のケースとは大違いだ。
取材が終わってダウンタウンの日本航空オフィスへ向かった。編集部から届いた追加の取材費を受け取るためだ。
ロビーに入ると、なんとそこには前日ストックホルムでフェイントをかけたはずの「週刊現代」の編集長が居るではないか。どっかり鞄の上に腰を下ろしてきょろきょろまわりを見回している。大森も慌てて逃げ出そうとしたが目敏い編集長に発見されてしまった。「ゴルフは嘘だ。大森はワシントンへ飛んだに違いない。日航かワシントン・ポスト社の玄関で見張っていれば必ず捕まえられる」と確信を持ち、すぐに日本を発ったとのことだ。私はまくし立てた。「大森さんはポストの仕事できている。週刊現代に原稿は渡せない。」(後略)(文中敬称略) |